2022年1月21日
ユニバーサルツーリズムがもたらすインバウンドの拡大と地域への貢献(前編)
東京2020大会でテーマとして掲げられた「ダイバーシティ&インクルージョン(社会や組織において、多様な人たちの能力・個性が活かされている状態)」の理念は、今後の日本のインバウンド誘致においても不可欠な要素と言えるでしょう。年齢や障がいなどに関係なく、誰もが安心して旅行を楽しむことを目指す「ユニバーサルツーリズム」への取り組みは、少しずつ広がりを見せています。そこで、「ユニバーサルツーリズムアドバイザー」として、全国の自治体、観光事業者、学校などで推進活動を行う渕山知弘氏に、ユニバーサルツーリズムについて伺いました。
海外の主要な観光地では、「バリアフリーは当たり前」
―最初に、「ユニバーサルツーリズム」とはなにかについて教えてください。
「観光庁では『ユニバーサルツーリズムとは、すべての人が楽しめるようつくられた旅行であり、高齢や障がい等の有無にかかわらず、誰もが気兼ねなく参加できる旅行』と定義しています。
以前は『バリアフリー旅行』、あるいは『バリアフリーツアー』などと呼ばれていたのですが、この呼称では『障がい者の旅行』、とりわけ『車椅子の旅行』のみを指すような印象を与えてしまうことから、『ユニバーサルデザインの考え方に基づく観光』という意味を込めて、『ユニバーサルツーリズム』という造語が用いられるようになりました。現在では、高齢者や乳幼児連れの人、妊娠中の人も含んだ概念として定着しています」
―海外では、「ユニバーサルツーリズム」は、どの程度浸透しているのでしょうか?
また、日本での実施状況についても教えてください。
「特にアメリカでは、法律で交通機関や宿泊施設、レストランなどのバリアフリー化が義務づけられていているため、『特別な配慮がなければ旅ができない』というケースは少ないように思います。現地の旅行会社が個人向けのサポート付きツアーを多数販売しているので、『高齢者、障がい者のための団体ツアー』はなく、個人単位でサポート付き着地型ツアーを選んで申し込むケースや自身で計画して旅行することが一般的です。そのため、『ユニバーサルツーリズム』と分類する必要がないほど特別視していない、と言ってもいいでしょう。
海外のホテルの客室は日本のユニットバスのような段差はなく、一定の広さの客室を選べば、バス・トイレを含めて車いすでも快適に利用することができます。ヨーロッパの旧市街や歴史的建造物、アジアの観光地など、ハード面で日本ほどバリアフリーが整備されていないところでは、すぐに周囲の方が手伝ってくれたりと、ハードのバリア(障壁)はハートでクリアできるケースも多いと感じます。障がい者が事前に細かく調べなくても行けば何とかなるということではないでしょうか。
人的サポートでバリアをクリア(写真:ユニバーサル・ サポートすわ提供)
一方、日本では、部屋の広さ、バリアフリー対応のトイレの有無などを事前に調査しなければ旅のプランニングができません。最も大きな課題は、介護や福祉の側面を持っているユニバーサルツーリズムは『観光事業者の利益確保が難しい』と考えられている点です。実際、大手旅行会社では、一般の修学旅行は積極的に獲得に動きますが、特別支援学校に対しては消極的な傾向がみられます。
現在、観光庁が中心となって『ユニバーサルツーリズム促進事業』を展開していますが、インバウンド施策に比べると、まだまだダイナミックな動きになっていないと感じます。そのため、旅行会社や地方自治体も、『はじめの一歩』を強く踏み出せないのではないでしょうか。このように、現時点では課題もあるユニバーサルツーリズムですが、多くの人々の支持や高い評価を得ていることは事実で、積極的に取り組む自治体も出はじめています。より一層の普及を進めていきたいですね」
ユニバーサルツーリズムは「習うより慣れろ」
―渕山さんが「ユニバーサルツーリズム」に取り組み始めたきっかけは何だったのでしょうか?
「1998年に、当時私が勤めていた旅行会社で年に数回、『視覚障がい者のためのツアー』を企画・運営していました。このツアーを担当していた先輩が退職することになったため、私が業務を引き継いだのがきっかけです。その後、転籍した会社でも、障がい者や高齢者が楽しめる『バリアフリーの旅』を14年間にわたって担当してきました。
福祉系の資格や専門知識があるわけではなかったので、最初は失敗の連続で、参加者や介助者の方に叱られながら、知識や経験を身につけてきました。当時、参加者の方からいただいた『こういう仕事は“習うより慣れろ”だよ』という言葉を、今も胸に刻んでいます。私のようにまったくの素人だった者でも、20年以上にわたってこの仕事を続けてこられたのですから、これから取り組もうという皆さんにできないわけがないと思っています」
―ユニバーサルツーリズムを実施するにあたって、主催者はどのような点に留意して対応すればよいのでしょうか?
「ユニバーサルツーリズムだからといって、特別に考える必要はありません。私はよく、マラソンツアーを例に話をするのですが、マラソンツアーを企画する際には、『ランナーがなにを望んでいるか』に着目するでしょう。たとえば、『コースの下見をしたいんじゃないか?』『フィニッシュ後にマッサージのサービスがあったら喜ばれるんじゃないか?』など、イマジネーションを脹らませて準備し、旅行商品をつくり上げていきます。ユニバーサルツーリズムも、『顧客のニーズに対して必要な手配をする』という点においては、一般のツアーと何ら変わらないのです。
ただ、注意しなければならないのは、『障がいの種類によってニーズは異なる』という点です。たとえば、視覚障がいの方と車椅子の方が一緒に旅行する場合を考えてみましょう。バスに乗車する際、視覚障がいの方は段差があっても比較的スムーズに乗車できます。一方、車椅子の方はリフトを使って乗車するにしても時間がかかる。すると、バスの中で待たされるお客様はストレスを感じることになります。高齢者、乳幼児連れの方、妊娠中の方、外国人など、それぞれ楽しみ方、過ごし方は異なります。『誰かのための配慮』が『他の誰かの快適性』を損ねていないか? ユニバーサルツーリズムを企画する場合には、この点に考慮することは大切ですね」
バスに設置したスロープ板
「できることからやってみる」という姿勢が大切
―障がいを持つ人と身近に接する機会がない人にとっては、ニーズをつかむのが難しそうに思えます。
「確かに、これまで接したことのない方のニーズを事前につかむことは容易ではないかもしれません。でも、ちょっと視点を変えて、初めてインバウンド訪日客を受け入れる際のことを考えてみてください。言葉や文化の違いについて調べ、できる限りの対策をしてお客様を迎えるでしょう。相手が欧米豪の方々であっても、アジア諸国の方々であっても、『来てくれるお客様のために最善を尽くす』という点では変わりません。
高齢者や障がい者への対応も同じです。先ほど私の経験についてお話ししましたが、まさに『習うより慣れろ』で、実際に接してみることで初めて見えてくるニーズはたくさんあるのです。はじめから『うちの地域はバリアフリーじゃないから、高齢者や障がい者の受け入れは無理』と決めつけてしまうのではなく、『小さな失敗を繰り返しながら学んでいくんだ』という気持ちでスタートしてみてはいかがでしょうか」
―ユニバーサルツアー実施にあたっての、具体的な流れについて教えてください。
「最初は『企画』です。顧客アンケートや旅行中のニーズをヒアリングし、顧客のニーズから行先を選定します。企画が決まったら、『事前調査』を行います。調査項目は、以下のような内容です。
① 交通(リフト付きバスがあるか? ない場合はどうするか?)
② 宿泊(バリアフリー対応ルームはいくつあるか? 通常洋室の広さは?
ドア幅は? ユニットバスの段差は高すぎないか? パブリックスペースにバリアフリートイレはあるか?)
③ 観光(バリアフリートイレはあるか? 施設内の移動距離、段差、スロープは?)
④ 食事(施設内にバリアフリートイレはあるか? ない場合、近隣にあるか?
椅子+テーブルか? 2階の場合、エレベーターは使えるか?
刻み食やペースト食に対応できるか? アレルギーに対応できるか?)
以上のような項目について正確に把握し、顧客のニーズを満たしていない場合にはホテルや飲食施設と交渉し、どのような工夫が可能かを相談して手配します。この事前手配が万全に整ったら仕事の9割は達成したと言ってもいいかもしれません。逆に、少しでもグレーな部分を残したままスタートすると、致命的なエラーにつながる可能性が高まります。私の経験でも、『到着してみたら、ホテル館内に5段の階段があった』『脱衣場と大浴場の間に階段があった』などのケースがありました。
そして最後は『現地対応』です。車椅子の方も、杖を使っている方も、あわてると事故につながる可能性が高いので、時間に余裕をもって、最後の方のペースに合わせるくらいのゆったりした行程で案内します。『高齢者や障がい者が観光を楽しむペース』を把握することが重要だと思います」
(後編)記事はこちらから
office FUCHI 代表 渕山知弘
1990年から大手旅行会社で30年勤務、うち22年間、バリアフリー旅行、ユニバーサルツーリズムに携わる。2020年からはその経験を活かし、全国の自治体、企業、大学等でバリアフリー観光の推進、ユニバーサルツーリズムの推進をアドバイスしている。講演、セミナー、フィールドワーク等を通じたプログラムで、「旅をあきらめない・夢をあきらめない」をモットーに、誰もが楽しめる観光地づくりに向けて活動中。