2026年5月12日
箱根DMOの観光DX、AIとデータで実現する持続可能な観光地運営

神奈川県西部に位置する箱根町は、豊かな自然、温泉、そして文化と歴史に彩られた日本有数の観光地です。東京から1時間強というアクセスの良さもあり、訪日外国人旅行者からの人気も高く、年間約2,000万人が訪れています。その需要を人口約1万1000人の町が支える中、箱根町は常に人手不足や交通集中といった課題に直面してきました。観光客と地域双方の満足度向上に向け、複数のDX施策を軸とした取り組みについて、箱根DMO(一般財団法人箱根町観光協会)の専務理事、佐藤守さんと、株式会社ホテルおかだの常務取締役で、箱根DMOのマーケティング・DXチームリーダーを務める原洋平さんにお話を伺いました。
「混雑緩和」と「周遊促進」を形にしたDX施策
―箱根DMOがDXに取り組むようになったきっかけについて教えてください。
佐藤さん(以下、敬称略):箱根DMOが2018年に発足した当初、地域の将来を描くための客観的なデータがありませんでした。まず着手すべきと感じたのは、正確なデータに基づいて、自分たちの立ち位置を正しく把握することです。データを可視化し、箱根全体で情報を共有し、地域の観光課題を明らかにしなければ、満足度向上に向けた具体的な施策も打てません。多様なステイクホルダーが関わる箱根において、地域全体の合意形成を図り、事業者を納得させるためにも客観的なデータは不可欠です。背景には、深刻な人手不足の課題もありました。人手に依存する労働集約型モデルから抜け出て、いかに効率性を追求するか。また、さまざまな国からの訪日外国人旅行者へ、いかに情報提供をするか。あと10年もすれば、SNSやウェブでの情報収集を主流とするZ世代が箱根のメインの顧客になることも想定され、彼らへの対応の必要性も強く感じていました。振り返れば、これら複数の要素が重なり合ったことが、今日のDX推進における強力な原動力となったのです。
―収集したデータからどのような変化や課題が見えましたか。また、そこから具体的なDX施策に結びついていった経緯を聞かせてください。
原さん(以下、敬称略):箱根エリアは、多くの大手民間企業が参入していますが、DMOの主導で客観的なデータが整ったことは大きな転換点になりました。それまでは感覚的にしか捉えられていなかった地域の実態が、データで裏付けされたことで目指すべき方向性についての合意形成を図りやすくなりました。収集したデータからは2点の重要なポイントが浮かび上がりました。ひとつは、箱根がもつ多様な観光素材をできるだけ多く周遊してもらうことが、旅行者の満足度向上、ひいては消費額の拡大やリピーター獲得につながるという点。もうひとつは、その観光経済を阻害する大きな要因が、交通渋滞であるという点です。
この2点の課題を同時に解決しようと、DX施策として形にしたのが、2023年リリースの「箱根観光デジタルマップ」 です。単に道路や飲食店の混雑情報を観光客に発信するだけでは不十分で、地域経済にとっては、いかに周遊を促すかがより重要となります。この「混雑緩和」と「周遊促進」をセットで実現することこそが、このツールの本質的な狙いでした。
また、その後、このデジタルマップのデータを二次活用し、渋滞情報も加味しながら穴場スポットを含めたおすすめルートを提示していくAIサービス「はこタビ」もリリースしました。

▲「はこタビ」自分にあった観光スポットと周遊に最適な旅程を入手できる
日頃の対話が育てる現場の「信頼関係」が、DX運用を加速
―箱根観光デジタルマップ の認知拡大はどのように行ってきましたか。
佐藤:ツールをつくって満足してしまい、活用されないケースはよく見聞きします。そうならぬよう、私たちは何事も始める前に、「誰に、どう使ってもらい、そのために何をすべきか」を明確にしています。箱根は「官民一体ALL箱根」をスローガンに、定期的な会議はもちろん、地域の祭りの手伝い 、さらには事業者のもとへこまめに足を運ぶといった日常的な交流を通じて、日頃から密なコミュニケーションを重ねたり、親睦を深めたりして関係性を構築しています。この基盤があったため、デジタルマップ導入時も、各事業者へポップを幅広く設置してもらうといった連携がスムーズにスタートできました。スタート当初、月間利用1万人を目標にしていましたが、数カ月で達成し、2026年3月時点で2万人を超える利用に成長しています。
原:ポップに加え、箱根内のさまざまな場所でのタッチポイントも活用しています。たとえば、観光協会が発行する紙の観光マップにQRコードを掲載しています。それをスマートフォンで読み込むと、デジタルマップの専用ウェブサイトにアクセスできる仕組みです。この動線からの流入はとても多いです。最近では、メタ広告などのオンライン広告も活用し、訪日外国人旅行者向けへの告知も試みています。
―訪日外国人旅行者へもPRしているとのことですが、DX施策を進めるうえで、国内旅行者と訪日外国人旅行者に対するアプローチの使い分けについて、どのように考えていますか。
佐藤:デジタルマップは、日本語のほか、英語、中国語(簡体字、繁体字)、韓国語に対応しています。メイン利用者は国内旅行者です。しかし、DMO発足から8年目を迎えた今、マーケティングの第一分岐は、国籍ではなくなってきていると感じます。たとえば、箱根を何度も訪れる国内旅行者と、遠方から初めて箱根を訪れる国内旅行者を比べた場合、後者には初訪日の外国人旅行者と同様の情報提供が必要ではないでしょうか。今後は、言語対応を前提としつつも、国内旅行者と訪日外国人旅行者という枠組み以上に、両者の利便性が交わっている部分を探していくことが重要です。国内旅行者に本当に便利なツールであれば、やがて訪日外国人旅行者にも受け入れられる。その逆もしかりです。
原:一方で、PR施策に関しては別アプローチをとっています。ターゲット国ごとに興味関心や、利用しているSNSが異なることはデータで把握しているため、そこは、国内旅行者と訪日外国人旅行者とで分けて実施しています。

▲「箱根観光デジタルマップ」 交通や店舗の混雑状況を可視化してスムーズな周遊をサポート
地域で変化した課題と向き合った「AI代理予約」、訪日外国人旅行者の「食」の満足度向上へ
―次に、2026年1月から始動した新たなDX施策「AI代理予約」について伺います。サービスの概要と、始めるきっかけについて教えてください。
原:私たちはDX施策を設計する際、観光課題が何かを常に意識し、その課題の解決に最新の技術をいかにうまくフィットさせるか、を重視しています。お客様の動向の変化に敏感であることは、なにより大切です。そうした中で見えてきたのが、訪日外国人旅行者の増加に伴う食の課題でした。箱根の大型旅館では、二食付きを希望する国内旅行者のお客様が8割に達する一方、訪日外国人旅行者はわずか3割です。つまり、7割もの訪日外国人旅行者が、夕食を宿以外で取る必要があるのです。ところが、食事場所の情報が不足していたり、多言語での予約手段がなかったりして、結局コンビニで食事を買って済ませるケースが少なくありませんでした。旅行満足度に直結する「食」という大きな要素を、利便性の欠如で損なわせてはいけない。こうした課題を解決し、旅行者の満足度向上と地域での消費拡大を両立させたいという思いから始めたのが、飲食店AI予約サービス「RecRing(レックリング)」です。
旅行者が宿泊施設の予約をすると、予約完了メールにこのサービスのリンクも一緒に掲載されます。旅行者は、そのリンクから、多言語に対応したチャット画面で、周辺の飲食店を検索し、代理予約まで完結させることができるサービスです。

▲初回起動時に言語を選択するだけで、画面表示・検索・チャット・予約操作まで、すべて選択した言語で利用可能
―導入にあたり、事業者との調整で苦労した点はありましたか。
原:実は、この施策に取り組むうえで、地域経済の観点からは課題感をもっていましたが、宿泊施設や飲食店側は、これを必ずしも課題ととらえていませんでした。訪日外国人旅行者から、宿に問い合わせが殺到するわけでもなく、飲食店へ電話が頻繁にかかってくるわけでもありません。飲食店の中には、言語の壁や文化の違いから、むしろ訪日外国人旅行者の来店は大変という戸惑いもありました。個々が課題に感じていない事柄について、箱根エリア全体の将来のために取り組むべきという認識を共有してもらうという点に、最大の苦労がありました。宿泊施設は協力的な一方、受け皿となる飲食店に協力をあおぐのは簡単なことではありませんでした。
佐藤:まずは飲食店のリストアップから始めました。取り組みに賛同してくれそうな店舗を検討するにあたり、日頃のコミュニケーションを通じ、事業者の課題感や温度感を把握できていたことは、大きな助けとなりました。とは言え、箱根DMOは、宿泊施設とは以前から強い結びつきがありましたが、飲食店との連携はそれほどでもありません。職員が一軒一軒足を運び、何度も回数を重ねて話を聞いてもらうといった地道なアプローチで進めました。箱根はエリアが広いため、まずは箱根湯本エリアのみで、予約可能な店も7店からのスモールスタートです。しかし、事業を確実に意義あるものとして継続させるには、これでよいと思っています。数が多ければいいわけではなく、予約が伸びないからといってすぐに止めるつもりもありません。DXに限らず、どの事業も、我々DMOのお客様である観光客、事業者、そして箱根町全体のために必要だという信念をもってスタートしました。まずは小さく始め、ユーザーの声を聞きながら改善を重ねて育てていければと思います。
―導入後の訪日外国人旅行者のお客様からの感想や、事業者からの反応について教えてください。
原:まだスタートしたばかりですが、実際に使った訪日外国人旅行者からは、非常に使いやすく予約も取りやすいといったポジティブな声をいただいています。ここまでの利用状況を見ると、飲食店の予約は、宿泊の予約完了時ではなく、宿泊する直前や当日に行われる傾向が強いです。訪日外国人旅行者が増える春のトップシーズンに向けて、4月頃をひとつの大きな目標として利用を促進していきたいと思います。
一方、飲食店の方々からは、「予約時にデポジット(預り金)がほしい」、「席予約だけでなく事前にコースメニューを決めてほしい」といった具体的な要望が寄せられています。また、音声電話サービスを利用している飲食店の場合、AIとうまく連携できず代理予約ができないといった、最新技術ならではの問題も出ています。現場の声をひとつひとつ受け止め、このツールの継続的な価値を高めていきたいと思っています。
DXで顧客満足度を最大化する
―今後、DMOとしてどのようなDX施策を構想していますか。
原:DMOの価値は、さまざまな企業や事業者のデータを収集し、個々の事業者では見えなかった地域全体の魅力や価値を束ね、可視化することにあります。技術革新によってデータ収集が容易になっている今、この役割をさらに促進していくことが、今後の重要なテーマです。この1年、AIは目覚ましく進化しました。こうした情報をしっかりキャッチアップし、生成AIなどを活用することで、これまで不可能だった新たな価値提供を実現していきたいと思います。
―最後に、全国で観光DXに取り組む方々へのメッセージをお願いします。
佐藤:箱根は、ゴールデンルート上にあり、東京のすぐ隣に位置します。国の観光立国戦略において、非常に重要な役割を担うべき観光地であると自覚しています。その立ち位置をしっかり認識し、国や県の方向性と歩調を合わせながら、歩みを進めていく考えです。
好条件な立地ゆえ、誘客に懸命にならなくても、一定数のお客様はお越しくださいます。だからこそ、目指すべきは、一度来た方に高い満足度を提供し、また来たいと思っていただくことです。次に来た際に、新しい魅力や進化を見せられるか。箱根DMOは、その可能性を実現させる手段がDXだと考えています。
現状に大きな不満がなければ、新しい挑戦を始めるのは容易なことではありません。それを動かす原動力となるのは、やはり日頃からの関係性です。新しい論点がもち上がってから合意形成を図ろうとしても遅いのです。DXを成功させる基盤は、ふだんの対話の中にこそあります。一緒に頑張っていきましょう。
<参考サイト>


