2024年12月13日
泊まれるジオパーク拠点を核に、官民連携の持続可能な地域づくりを目指す~隠岐諸島・海士町の取り組み~
島根県隠岐諸島の一つ、中ノ島を町域とする海士(あま)町。人口約2200人が暮らすこの島では、2021年に誕生した宿泊施設「Entô(エントウ)」を中心に、観光を活用した持続可能な地域づくりが進められています。「Entô」がどのように地域をブランディングし、島の活性化に取り組んでいるのか。またその実現のために、いかにして行政と連携をして取り組んでいるのか。「Entô」を運営する株式会社海士のマーケティング担当、佐藤奈菜さんにお話を伺いました。
ホテルの老朽化を機に、島の新たなブランディングを計画
―海士町に「Entô」が誕生した経緯について教えてください。
2021年に開業した「Entô」は、島で唯一のホテル「マリンポートホテル海士」をリニューアルする形で誕生しました。
海士町は2000年頃、急速な過疎化と財政破綻の危機に直面し、島内だけで経済の循環を図るのは難しいことから、解決策のひとつとして観光業に力を入れ始めました 。特産品を活かした商品開発や観光スポットの整備が進められましたが、日帰りのしづらい離島に観光客を呼び込むためには宿泊施設の充実も欠かせません。島内には民宿はあるものの少人数のみの受け入れに留まり、大人数を収容できる「マリンポートホテル海士」は老朽化が進み、当時の受け入れ体制は十分とは言えない状況でした。そこで浮上したのが「マリンポートホテル海士」の改修案です。同ホテルは1971年に国民宿舎「緑水園」として誕生し、1994年の増築以降、第三セクターである株式会社海士が運営を担っていた海士町所有の建物です。2014年に、株式会社海士や町役場の交流促進課、観光協会が参加する検討委員会が発足し、改修についての議論が重ねられました。ちょうど同時期の2013年に隠岐諸島がユネスコ世界ジオパークに認定されたことも追い風となり、「マリンポートホテル海士」をジオパーク事業の拠点として再生する方針が決定しました。高付加価値の宿泊施設へと生まれ変わらせることにより、島内の民宿との棲み分けを図りながら、新しい客層のニーズにも応えるホテルを目指すことになりました。
―大規模なリニューアルとなれば、島の観光施策にも影響を与えることになります。島民の理解はスムーズに得られたのでしょうか。
再建の方針は定まったものの、当初は島民から強い反発がありました。宿泊費を高価格帯に設定することに対し、観光事業者からは「富裕層のニーズに応えられるサービスが提供できるだろうか」といった不安の声があがったのです。
しかし、私たちが目指す高付加価値とは、豪華な設備や食材ではなく、手つかずの自然や島の人々の温かさといった、島ならではの豊かさを提供することです。この考え方の違いを擦り合わせることは、海士町のシンボルとなるホテルを目指す上で欠かせないものでした。そこで、島民の方々に向けた説明会を開いたり、議会に赴いて運営計画や資金の使い方を説明したり、何度も丁寧に対話を重ね地域の理解を得ていきました。コロナ禍もあり、着工までにかなりの時間と労力を要することにはなりましたが、互いに歩み寄ることができたのだと思います。
Photo by Kentauros Yasunaga
▲島民との対話を重ねて完成したEntôの客室
―泊まれるジオパーク拠点「Entô」の特徴について教えてください。
「Entô」は単なる宿泊施設ではなく、「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」の拠点として、旅の起点となることを目指しました。ここで隠岐の自然や歴史を学んだ後、海士町のフィールドを実際に体感していただきたいと考えています。
別館1階にあるジオパークの展示スペースは、地質学的な視点から隠岐の成り立ちや地球の歴史を学べる空間となっています。ジオパークの解説員が常駐し、いつでも質問に答えられる体制を整えていることも特徴です。また、フロントを経由せず自由に外出でき、「Entô」と島全体が一体となったシームレスな感覚を味わえることにもこだわりました。毎日夕方には、島内の散歩を通じて隠岐を学ぶ「Entô Walk」という30分の無料アクティビティも開催しています。
Photo by Kentauros Yasunaga
▲入場無料の展示室、Geo Room "Discover"(ジオルーム ディスカバー)
―主にどの地域から、どのようなお客様が来られていますか。
時期によって変動はありますが、1年を通じてカップルや友人同士での宿泊が多く、特に東京や大阪などの都市部から多くのお客様が訪れています。「マリンポートホテル海士」の頃は、団体客や40代、50代の方が多かったのに対し、「Entô」の開業以降は、20代、30代の若年層が一気に増加しました。SNSで拡散された写真や動画を見て、「Entôに泊まってみたい」「この景色の中で時間を過ごしたい」と、宿泊そのものを旅の目的にして来られる方が増えました。
ジオパークを目的に訪れる方はまだ少ないですが、来島してその存在を知り、解説やアクティビティを通じて楽しんでくださる方が多いようです。「Entô」がきっかけとなり、海士町やジオパークの魅力を感じてもらえることは、私たちにとっても嬉しいことです。
Photo by Kentauros Yasunaga
▲新築の別館「Entô Annex NEST」と「マリンポートホテル海士」を改修した本館「Entô BASE」、2つの棟で構成され、さまざまなタイプの客室がある
―インバウンド向けの取り組みで行っていることはありますか。
商談会やプロモーションなど海外に向けての情報発信は、隠岐ジオパーク推進機構と連携して進めています。外国人宿泊者はまだ全体の約1割ですが、この1年は「Entô」のホームページの整備も行ってきました。開業当初から英語表記はありましたが、日本語ページに比べて情報量が少なかったため、内容を充実させました。
ホームページ内で掲載している記事コンテンツのひとつ「Entô Journal」を社内スタッフで翻訳して英語でも公開したり、ユーザーの設定言語が日本語以外の場合は、自動的に英語ページに遷移するよう設定しました。そうした試みの結果、ホームページのアクセス数は以前の倍以上になっています。
外国人宿泊者で多いのは台湾とヨーロッパ諸国の方で、「動画サイトで紹介された額縁のような美しい景色に、直感的に惹かれた」という声をよくいただきます。また建築やデザインに関心のある方々も多いです。離島なのでアクセスは大変ですが、お客様と話していると、むしろその不便なプロセスを楽しむマインドセットを持っている方が多いように感じます。
▲「Entô Journal」の英語ページでは、実際のお客様が「Entô」に旅した理由を紹介
地域内での消費拡大と島内経済への還元で、持続可能な地域づくりを目指す
―島の活性化を図るため、島民と協力して地域に貢献していることはありますか?
「Entô」は「島とともにあるホテル」として、できる限り島内で完結する仕組みを取り入れ、地域への消費還元を心がけています。たとえば食事に関しては、使用する食材の90%を島内の生産者などから仕入れています。ダイニングスタッフ自らが調達を行うことにより、どの畑で何が育ち、誰がどのように作っているのかを学べる環境が生まれました。料理を提供する際には、調達した食材のストーリーなどを説明し、ゲストと島の文化や風景を結びつける体験を創出するようにしています。
Photo by Noboru Murata
▲海士町を「目で見て、食べて感じてもらえる」ことを意識した地産地消の料理
リネン類のクリーニングも、島内の事業者に委託しています。以前は、島に洗濯業者がおらず、島外へ送っていました。時間やコストがかかるため、当社の代表が2013年にクリーニング事業の会社を島に立ち上げたのをきっかけに島内経済の循環につなげています。
最近では、ゲストに海を楽しんでもらうため、島民の方がクルージング事業を立ち上げてくださいました。私たちも一緒にプランを考え、現在、商品化を進めています。
―「Entô」スタッフの多くは島外からの移住者だと伺いました。どのように人材を集められたのでしょうか。
「Entô」は、約60名の従業員のうち約9割が移住者で、20~30代が中心です。求人サイトを通じて応募した人のほか、海士町、西ノ島町、知夫村の隠岐島前(どうぜん)地域で暮らしながら働く「大人の島留学」制度を利用して配属された人もいます。小さな島で地域と深く関わりながら、人から頼られたり認められたりすることで、都会では得られない自分の存在感や居場所を見つけられるのかもしれません。オンラインで簡単につながることができる時代 だからこそ、対面で築くリアルな人間関係が若者にとって魅力になっているように感じます。
―移住者が島民との良好な関係を築く上で大切なことは何でしょうか。
地域行事に積極的に参加し、島民と一緒に過ごす時間をできるだけ多く持つことだと思います。隠岐は、歴史的に人の往来が盛んな土地柄であり、外から来た人たちを温かく迎え入れる風土があります。私自身も移住者のひとりですが、綱引き大会やお祭りの運営を通じて、地元の方々と絆を深めることができました。
社内でも、草刈りや地区の掃除などの地域活動に参加しやすい環境が整っています。一見地道な取り組みですが、実際に顔を合わせることで意思疎通が深まり、「お互いにこの島のために頑張ろう」という心のつながりが生まれています。
官民連携の鍵は、コミュニケーションを取り状況を把握すること
―海士町は、行政と民間の協力体制が整ったモデル地域のひとつだと思います。円滑な連携の秘訣はありますか?
同じ時間を過ごし、顔を合わせることが大切だと思います。関連組織が協力できる環境を整えるという意向のもと、「Entô」本館の3階に「官民共創スペース」というシェアオフィスを造りました。ここに、「Entô」を運営する株式会社海士のほか、海士町役場の交流促進課や観光関連の団体・企業が入居することで、自然と互いの状況や想いを理解しやすくなり、円滑なコミュニケーションが促進されています。
―「官民共創スペース」によって連携を図れた具体的な事例あれば教えてください。
海士町では、毎年「キンニャモニャ祭り」という民謡を踊る夏祭りが開催され、その運営・企画を役場が中心となって行っています。今年は株式会社海士でも、「Entô」の宿泊者がこのお祭りに参加できるプランを販売し、観光客に島の魅力をより身近に感じてもらえるようにしました。
この取り組みがスムーズに実現できたのは、役場との密接なコミュニケーションがあったからです。リアルタイムで祭りの企画進行状況などを共有し、運営側の熱意を感じつつプランを作り上げることができました。こうした情報のラグがない環境は非常に大きなメリットですし、官民の心理的な隔たりもなくなったと思います。
さらに、入込客数や観光施策などの情報を共有しながら、意見を交換する機会もあります。「官民共創スペース」の存在が、地域一体となって島を盛り上げていこうという機運を大いに高めていると感じています。
▲もとはバンケットホールだった場所を改築した「官民共創スペース」
地域との対話を重ね、想いを共有する
―オープンから3年が経ちましたが、地域の変化として感じられることはありますか?
「Entô」がようやく島のシンボルとして、島民に受け入れられてきたことを実感しています。毎年、オープン記念日の7月1日前後にテラスを開放してマルシェを開催しているのですが、年々島民の来訪が増え、「頑張ってね」といった応援の言葉をいただくこともあります。また、島民の方が、久しぶりに島に帰省した方を連れて来て「こんな場所ができたんだよ」と案内してくださることもあり、少しずつ地域に根付いていることを感じられ、励みになっています。
―最後に、持続可能な観光地域づくりに取り組む全国の自治体や事業者に向けてメッセージをお願いします。
自分自身にも言い聞かせていることですが、地域の人との対話を諦めないことが何より大切だと思います。地域をつくっていくのは、やはりそこに住む人たちです。この地域の宝は何なのか、観光が地域にどう貢献するのか、地域の未来をどうしていきたいのか。そうした共通の想いや目標を持つためには、対話を重ねることが不可欠です。異なる意見があったとしても、その想いに触れ、足並みを揃える努力が必要なのではないでしょうか。
参考サイト
Entô(エントウ)